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Seitosha Publishing

2017年8月のエントリー 一覧

木はどうなったか.jpg

著者:大石陽次
ISBN:978-4862281029 C0095
定価 1,500円+税 88ページ
ジャンル[詩集]
発売日:2018年 7月29日発売
 
 
紹介

大石陽次詩集
愛と孤独とはるかなる宇宙への小さな挽歌。

木は
象のように優雅で
犀のように孤独
草や花や種子や果実
鳥や雲や太陽や月や星々を引き連れて
満ち足りている
(「番号を仮に付し、歩きはじめたことば」より)

 

 私は、詩人とはどういうものなのか知らない。
 むろん、詩とはなにか、も。けれど、大石陽次の書く「詩」の言葉が好き、友人に詩人がいるって、いい感じだと思っている。
 かなり昔、彼が酔っぱらって、自分はこれから詩人になる、というので「あ、い、う、え、を・・・ん詩」というのを書いてもらったことがある。「あ」という詩、「き」という詩・・・・、で五十音の詩をつくってもらい、それをみんなでああでもないこうでもないと評してたわむれてみたのだ。たとえば「きたみちを/きたほうにかえる/きんあかのはなが/きのえだにゆれ/きんもくせいの/きれいなかおり/きのうは/きがめいったし/きょうは/きぶんがすぐれない/きりどおしのみちに/きんいろのかぜ」というように。

 きたみちをきたほうにかえる、なんて意味深な。きりどおしのみちにきんいろのかぜ、だなんて。彼は巧みに言葉と戯れる、いや、言葉をもてあそぶ。たとえナンセンスな言葉遊びに、意味も意義も目標もなくただ興じていても、そこに人の心をとらえる情景をふと浮かびあがらせ、天真爛漫なふりをして読むものをたらしこんでしまうのだ。
 詩人とはかくなるものかと思わされた。
 その後もなにげない素振りで詩集を世に出し、その度に元編集者らしい仕掛けをひそませ、自らの手でいつのまにか「詩人・大石陽次」をつくりあげてきた。
 そして、今回、登場してきたのが「木はどうなったか」。
 いきなり、どうなったか、なんて、これは問いなのだろうか、答なのだろうか・・・、もうそれだけで胸がつかれてしまった。
 そう、亡き妻に読んでもらいたい、その思いがにじんだこの一冊の詩集は、帰るところを見失った男の心情が、率直に紡ぎだされていて、とても切ない。でも、とにもかくにも、彼はまた言葉とともに歩き始
めた。どこに帰ったらいい? とつぶやきながらも。

──久田恵(ノンフィクション作家・第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)


 

目次


朝のコーヒー
秋の夜や甘し
病跡学の本に書かれていなかった街
パリ
梅花
いまだ書かれていないこと
大問題
敗戦記念日
お茶でもどうぞ
どこまで行くんだ
詩人
カラスの会話
福冨しゃん、ありがとう
冬の花祭り
彼岸過ぎまで
ランボーの行方
番号を仮に付し、歩きはじめたことば
朝五時に発見した弘子
病室の窓から
どこに帰る?
遠くで

 

著者について
大石陽次(おおいし・ようじ)
1944年、中国山西省陽泉に生まれる。
1945年、福岡県八女郡北川内村に引き揚げ。
1963年、東京教育大学文学部仏文科に入学。
1967年、同大学卒業、日本放送出版協会に入社。テキスト、書籍の編集に携わる。
2007年、同社、退職。現在、無職。
2004年3月、思潮社より詩集「空の器」刊行。
2007年5月、青灯社より詩集「あいうえお……ん」刊行。

ちゅうちゅまんげ.jpg

著者:大石陽次
ISBN:978-4862281036 C0095
定価 2,000円+税 144ページ
ジャンル[詩集]
発売日:2018年 7月29日発売
 
 
内容紹介
九州・福岡県八女地方のことばの山襞に刻まれた原風景

祖母が孫に語る、過酷で豊饒で笑いに満ちた人生。
村を生きる人々の平凡で驚くべき物語。
幻の方言詩の傑作が、増補・改訂版でよみがえる。


全19編福岡県・筑後弁の詩集である。戦場で気が狂った男、火事で飼い馬やペットのカラスと共に死んだ男など、
故郷の往還(道)を行き来した彼らの姿を、小学生の時に死に別れた祖母が語る“口寄せ“形式の詩群が出色。
太字の「戦後」が背景にくっきり見える。時代性、物語性、(方言の)親和性が極上にブレンドされ、銘酒水のごときのど越しである。
なかほどにある「ちゅうちゅまんげ」(蝶)という詩はひらがなの短詩だが、人の世のはかなさが柔らかな韻律で響く。
・・・生と死の境を蝶のように自在に行き来する世界は、とりわけ昭和20~30年代に田舎の少年だった男たちには泣けてくる。

(旧版の紹介より──「西日本新聞」2010年1月10日)


この詩集には、いまではもう地上から消え去った日本の原郷=前近代的なムラ(村落共同体)がどんなに深い相互扶助の心根をもっていたか、
国家が彼らに課した過酷な近・現代の戦争にどんな姿で耐えぬいたか・・・などなど、ムラの庶民・民衆の不思議譚や意外譚がいくつもいくつも、ナマナマしく、ユーモラスに、凛(りん)として、復元=創造されているのである。
そしてこの詩集は、南北九州の近代資本(チッソ水俣・三井三池炭鉱)に亡ぼされていく前近代的な民衆情念の抵抗史を描き続けた
「サークル村」の谷川雁や石牟礼道子らと同じような体臭をもつ言葉の豊穣さに恵まれるのだ。
──吉田 司(大宅ノンフィクション賞作家/旧版の書評より)


大石さんの今度の詩集『ちゅうちゅうまんげのぼうめいて』について何かをいうことが、ひどく迂遠な行為のように感じて困っている。
これはもう読めばわかりますよ、と小声でいって、にこにこ笑っていればいいのだ。
その作者の真実や誠実さや極めて洗練された作為を、ごく自然に受けとったら、いいなあ、とだけ感想を伝えればすむ。
すてきに全部ありますなあ、大石さん、とでもいえばいいのだ。
──橋本克彦(大宅ノンフィクション賞作家/旧版の書評より)


 

目次
西ん空ん正平さん
往還の郵便局員
焼かれた丑蔵じいさん
鉄蔵さんの食事
テレビの映らんごつなった村
村から消えた光男しゃん
藤吉が家の火事
幽霊
電球の点いた村
電気泥棒
たんものおり
へらくちに咬まれたじいちゃん
ちゅうちゅまんげ
掘り出しもん
ばあちゃんのてがみ
キャラメル
畑泥棒
黄金の夏休み
リバー・ポリス
ばあちゃん、千葉に行く
お迎え、と泰造
ばあちゃんの死


 

著者について
大石陽次(おおいし・ようじ)

1944年、中国山西省陽泉に生まれる。
1945年、福岡県八女郡北川内村に引き揚げ。
1963年、東京教育大学文学部仏文科に入学。
1967年、同大学卒業、日本放送出版協会に入社。テキスト、書籍の編集に携わる。
2007年、同社、退職。現在、無職。
2004年3月、思潮社より詩集「空の器」刊行。
2007年5月、青灯社より詩集「あいうえお……ん」刊行。