九州・福岡県八女地方のことばの山襞に刻まれた原風景
祖母が孫に語る、過酷で豊饒で笑いに満ちた人生。
村を生きる人々の平凡で驚くべき物語。
幻の方言詩の傑作が、増補・改訂版でよみがえる。
全19編福岡県・筑後弁の詩集である。戦場で気が狂った男、火事で飼い馬やペットのカラスと共に死んだ男など、
故郷の往還(道)を行き来した彼らの姿を、小学生の時に死に別れた祖母が語る“口寄せ“形式の詩群が出色。
太字の「戦後」が背景にくっきり見える。時代性、物語性、(方言の)親和性が極上にブレンドされ、銘酒水のごときのど越しである。
なかほどにある「ちゅうちゅまんげ」(蝶)という詩はひらがなの短詩だが、人の世のはかなさが柔らかな韻律で響く。
・・・生と死の境を蝶のように自在に行き来する世界は、とりわけ昭和20~30年代に田舎の少年だった男たちには泣けてくる。
(旧版の紹介より──「西日本新聞」2010年1月10日)
この詩集には、いまではもう地上から消え去った日本の原郷=前近代的なムラ(村落共同体)がどんなに深い相互扶助の心根をもっていたか、
国家が彼らに課した過酷な近・現代の戦争にどんな姿で耐えぬいたか・・・などなど、ムラの庶民・民衆の不思議譚や意外譚がいくつもいくつも、ナマナマしく、ユーモラスに、凛(りん)として、復元=創造されているのである。
そしてこの詩集は、南北九州の近代資本(チッソ水俣・三井三池炭鉱)に亡ぼされていく前近代的な民衆情念の抵抗史を描き続けた
「サークル村」の谷川雁や石牟礼道子らと同じような体臭をもつ言葉の豊穣さに恵まれるのだ。
──吉田 司(大宅ノンフィクション賞作家/旧版の書評より)
大石さんの今度の詩集『ちゅうちゅうまんげのぼうめいて』について何かをいうことが、ひどく迂遠な行為のように感じて困っている。
これはもう読めばわかりますよ、と小声でいって、にこにこ笑っていればいいのだ。
その作者の真実や誠実さや極めて洗練された作為を、ごく自然に受けとったら、いいなあ、とだけ感想を伝えればすむ。
すてきに全部ありますなあ、大石さん、とでもいえばいいのだ。
──橋本克彦(大宅ノンフィクション賞作家/旧版の書評より)
目次
西ん空ん正平さん
往還の郵便局員
焼かれた丑蔵じいさん
鉄蔵さんの食事
テレビの映らんごつなった村
村から消えた光男しゃん
藤吉が家の火事
幽霊
電球の点いた村
電気泥棒
たんものおり
へらくちに咬まれたじいちゃん
ちゅうちゅまんげ
掘り出しもん
ばあちゃんのてがみ
キャラメル
畑泥棒
黄金の夏休み
リバー・ポリス
ばあちゃん、千葉に行く
お迎え、と泰造
ばあちゃんの死
著者について
大石陽次(おおいし・ようじ)
1944年、中国山西省陽泉に生まれる。
1945年、福岡県八女郡北川内村に引き揚げ。
1963年、東京教育大学文学部仏文科に入学。
1967年、同大学卒業、日本放送出版協会に入社。テキスト、書籍の編集に携わる。
2007年、同社、退職。現在、無職。
2004年3月、思潮社より詩集「空の器」刊行。
2007年5月、青灯社より詩集「あいうえお……ん」刊行。