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Seitosha Publishing

副題:[ミスター文部省]にみえること

20171110.jpg著者:寺脇 研
ISBN:978-4-86228-097-8 C0037
定価1600円+税 228ページ
発売日:2017年11月10日

 

紹介
国民統制をはかり、教育行政への介入を急速に進める政権。
今の日本に本当に必要な教育の姿とは?
◇「詰め込み」ではない「ゆとり」教育は、ポスト近代の「生きる力」の要請でもあった。
◆「総合的な学習の時間」は自分で考える生徒を生み、「ゆとり以前」には
 考えられなかった成果を見せはじめている。
◇グローバル時代・高齢化に向けての専門教育と生涯学習──「学びの伏線化」。
◆歴史教科書の採択、道徳教育の教科化、教育委員会への首長の権限強化──
 政治の道具と化した教育を、人びとの手に取り戻すために。
◇若い世代に根付きつつある、「未来を自分たちの手で」決める問題意識。

ゆとり教育と生涯学習を推進し、〈ミスター文部省〉とよばれた著者が明かす、
当時と今の教育をとりまく状況と官僚としての想い、これからの日本の教育の展望!



目次
第1章 グローバル時代の必然、「ゆとり」教育と「生涯学習」
第2章 国民統制をはかる政権、どうする? 官僚
第3章 安倍政権以降、なにがおかしくなったのか?


著者プロフィール
寺脇 研  (テラワキ ケン)
京都造形芸術大学教授。1952年、福岡県生まれ。東京大学法学部卒業。
75年、キャリア官僚として文部省に入省。在任中は生涯学習政策、「ゆとり教育」等を推進。メディアでは「ミスター文部省」と呼ばれた。映画評論家としても活躍。
著書『韓国映画ベスト100』(朝日新書、2007年)、『「官僚」がよくわかる本』(アスコムBOOKS、2010年)、
『「学ぶ力」を取り戻す 教育権から学習権へ』(慶應義塾大学出版会、2013年)、『文部科学省 「三流官庁」の知られざる素顔』(中公新書ラクレ、2013年)、
『これからの日本、これからの教育』(前川喜平と共著 ちくま新書、2017年)ほか



 

まえがき
文部科学省を辞めて一一年が経つ。

定年まで勤めていれば七十代に入っているところだが、早々に退職勧告を受けたおかげで、また、役所の斡旋する再就職(その当時は適法だった)を断ったために、自由な立場になって一一年過ぎても、まだやっと前期高齢者の仲間入りをしたばかりだ。頭も身体もしっかり動く。
その間、映画や芝居、マンガの分野でいろいろな活動を楽しんできた。もともと、高校時代から映画評論を書いて映画評論家になり、役人時代も映画界の人々と付き合っていたし、演劇、マンガも愛好していたとはいえ、表現の自由がある文化の世界でのびのび活動する醍醐味を味わっている。映画『戦争と一人の女』(二〇一三)、『バット・オンリー・ラヴ』(二〇一六)、舞台『グレイッシュとモモ』(二〇〇八)、『ゴールデン街青春★酔歌』(二〇一五)のプロデュースで、実作にも携わった。

とはいえ、もちろん教育のことを忘れたわけではない。京都造形芸術大学をはじめ、東北芸術工科大学、星槎せい さ大学などいろんな大学で学生たちに授業するだけでなく、学校以外の学びの場として〇九年に「カタリバ大学」を作り、月一度のペースで開催してきた。こちらは、中学生から七十代までの幅広い学習者が多様なテーマを取り上げ議論する。政策を立案する役人から、学校教育、社会教育のプレイヤーに転じて「いつでも、どこでも、誰でも学べる」生涯学習社会作りに挑んでいるつもりだ。
一方で、元役人として教育政策の動向も気になる。退職と入れ替わりに第一次安倍政権が誕生、福田、麻生、民主党に政権交代して鳩山、管、野田とめまぐるしく首相が交代した後、第二次安倍政権が五年の長期に及んでいる。考えてみれば辞めてからの一一年間、半分以上が安倍政権なんですね。

この間、〇八年に橋下大阪府知事が誕生したこともあって、教育政策は大いに揺れている。やむにやまれず、わたしも民間の立場でさまざまな発言を行ってきた。その内容は、第一次安倍~麻生政権時代を「二〇五〇年に向けて生き抜く力」(二〇〇九 教育評論社)、主に民主党政権時代を「『学ぶ力』を取り戻す」(二〇一三 慶應義塾大学出版会)にまとめてある。
だが、第二次安倍政権になってからの動きは、もっと急だ。道徳の教科化、教科書問題、教育委員会制度改革、学習指導要領改定など戦後の教育制度を根本から変えるような大改革が、「政治主導」「官邸主導」の名の下に矢継ぎ早に出てきている。油断していると、この国の教育の在り方がどの方向へ行ってしまうか見当がつかなくなってしまう。

しかも、「政治主導」「官邸主導」が文部科学省のみならず霞ヶ関全体の官僚を萎縮させている。内閣人事局が創設され、官邸が幹部官僚全体の人事権を握った結果、その意向を窺うことに汲々とする空気が蔓延しているようだ。わたしが現役だった頃とはまったく違ってしまっている。
「忖度そん たく」という言葉を一躍流行語にしてしまった森友学園問題では、自他共に認める「官庁の中の官庁」だったはずの財務省の官僚たちが国会答弁で「記録にない」を連発し、国民の前にぶざまな姿をさらさざるを得なかった。彼らの誇りはどこへ消えてしまったのだろうか。大蔵省、後には財務省と予算折衝などで何度も交渉し、その能力と公平公正さを尊敬していたわたしには、見るに忍びないものがある。

加計学園問題では、官邸とその意を体した内閣府の役人が「総理のご意向」を笠に議論を一方的に封じ込め、懸命に抵抗する文部官僚を蹂躙した経緯が明るみに出た。この有様は、単に教育行政が歪められたにとどまらず、日本の行政機構全体の危機だと言えよう。今こそ官僚が奮起しなければ、民主主義の基本である「司法、行政、立法」の三権分立のうち「行政」の一角が崩れてしまう。それは同時に、民主主義の崩壊なのだ。
この本では、教育の問題、官僚の在り方の問題について、わたしの眼に見えるものを率直に綴っていきたい。教育の未来、行政の未来を考えるきっかけになれば幸いである。