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Seitosha Publishing

副題:3.11後の新しい社会運動:反原発、反差別、そしてSEALDs

路上の身体ネットの情動.jpg
 
著者  田村貴紀、田村大有
四六判、並製、268ページ
定価 1,800円+税
ジャンル[社会運動、政治]
2016年 6月30日発売
 
 
 
「知的に上昇する知」から、「地べたの思想戦を戦う知」へ!
 
原発、マイノリティ、そしてSEALDs。現代の社会運動のあり方とは?
著者が自ら参加し、また知り合った人々との直接の対話を通して
参加者各個人の物語から、彼らが政治と社会を語る動機に迫る
 
 
「人々は何を思い、何故参加し、何を訴えたのか。
3.11からの時代の傷をめぐる、人々の物語。震災後の社会を見つめた、社会情報学者による
必読の記録。」
(SEALDs・ReDEMOS代表理事・市民連合 奥田愛基)  
 
 
 
目次
序 傷をめぐる人々の物語
第1章 反原発運動
 原発事故と抗議行動
 TwitNoNukes─雲のように集まり、雲のように消える
 官邸前抗議──開放された車道
 黙々と止める人々
 
第2章 反差別運動
 差別を許さない
 はじまりのKポペン
 レイシストをしばき隊
 
第3章 そしてSEALDs
 海底
 一五年安保とSEALDs
 もう一つの源流─U-20デモ実行委員会
 SEALDs、それぞれの来歴
 SEALDsをめぐる賞賛と批判─ツイッターテキスト分析
 六頭の龍の背に乗って
まとめ
 
 
著者プロフィール
田村 貴紀(たむら・たかのり)
国際基督教大学卒業、筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科修了、博士(文学)。現在、法政大学非常勤講師。
主な著書:竹之内禎・河島茂生『情報倫理の挑戦 : 「生きる意味」へのアプローチ』(分担執筆)(学文社)
 
田村 大有(たむら・だいゆう)
大正大学人間学部卒業、立教大学社会学研究科博士課程前期課程。
主な著書:竹之内禎・河島茂生『情報倫理の挑戦 : 「生きる意味」へのアプローチ』(分担執筆)(学文社)
 
 
 
序文より
 本書は、二〇一一年三月一一日に起きた東日本大震災とそれに続く東京電力原発事故以降の、主に首都圏での社会運動について、反原発運動、反差別運動、そしていわゆる一五年安保闘争を闘ったSEALDsに関する記述と分析である。これらの社会運動はそれぞれが異なる主題(イシュー)を扱っているが、私たちはこの三つの社会運動を通観することで、そこに通底している特徴を見出すことができると考えている。
 二〇一五年の夏に反安保法制闘争で鮮烈な印象を残したSEALDsも、この系譜の中で生まれてきた。SEALDsメンバーはポスト三・一一世代であり、後にインタビューで示すように、多くのメンバーがその活動の契機として東日本大震災と原発事故を挙げている。一五歳から一八歳という多感な時期に三・一一を体験したことが、彼らの感性に大きな衝撃を与えているのである。そしてSEALDsの背景には、三・一一以後に台頭した反原発運動、反差別運動、さらにそれ以前から継続している沖縄基地闘争が実践してきた社会に対して声を上げる文化がある。三・一一後に生まれた三つの運動は、独立しつつ相互に影響しあっている。
 読者の中には、これから述べる社会運動で行われる抗議やデモに対して、その効果に疑問を持ったり、あるいは社会の出来事に違和感を感じながらも、声を上げることに抵抗を感じている方もいることであろう。しかし、この三つの社会運動の現場で抗議の声を上げている人々と、皆さんの間に大きな違いはない。SEALDsの創設メンバー奥田愛基も、二年前までデモを疑い、声を上げることができなかった一人だった。私たちは、そういう方にこそ向けてこの本を書いた。
 本書の七割は、声をあげ始めた人々とのインタビューで、三割は理論的考察である。次節から理論的背景についての説明が始まるが、インタビュー部分だけ読んでいだたいても差し支えない。何よりも伝えたい事はそこに書いてある。
 なぜならば本書の第一の目的は、「地べたの思想戦」について伝えることだからだ。この本の中で扱おうとしているは、知的に上昇する知、繊細で難解な講壇の知ではなくて、路上を活きる知、地べたの思想戦を闘う知である。社会学者の江原由美子は講演で、二〇〇三年頃から起こった反フェミニズム運動、いわゆるバックラッシュについて、あんな粗暴な議論はまともに取り合うことができなかったと言っている。「『こんなことを言う人がいるとは信じられなくて』、反論しなくなっちゃうんですよ」(江原、二〇〇八、三〇頁)。それは江原ばかりではなかったし、私もそうだった。「在日特権」なる虚構を主張する人々がでた時も、「大した問題じゃない」と思っていた。逆に原発については核廃棄物の最終処理問題など危険性を指摘する声を「大した問題にならないだろう」と軽んじていた。
 やがてそれは大した問題になり、原発は事故を起こし、ヘイト・スピーチは蔓延し、国会では憲法を無視する採決が行われた。それを解決しようと路上で声を上げる人々が現れたが、そこで叫ばれる理念は、安全、生命、人権、平和、立憲主義と、どれも近代社会にとっては原初的でさえあるものばかりだった。彼らは神棚に飾られたお題目に見えたこれらの理念を路上まで引きずり下ろし、地べたの思想戦を闘う武器として実装したのである。
 かつてドイツの情報倫理学者ラファエル・カプーロに「あなたは最新の問題を扱っているのに、何故三千年前に死んでしまったギリシア人の話ばかりするのか?」と聞いたことがある。カプーロは「それが家族の問題(family problem)だからだ」と答えた。「ギリシャ哲学は父親の問題、キリスト教は母親の問題なのだ。そして、あなたには『あなたの家族の問題』があるだろう。アリストテレースが考えていたのも、目の前にいるアテナイの村人の暮らしだった」。そしてこの「地べたの思想戦」が「私の家族の問題(my family problem)」である。本書を、七〇年前、四〇年前に済んだはずの闘いに二一世紀において参戦し、負傷した人々に捧げる。