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Seitosha Publishing

2015年11月のエントリー 一覧

 

La fin du village──Une Histrorie Française

プロヴァンス(上).jpg

著者:ジャン=ピエール・ルゴフ
訳者:伊藤 直
ISBN:978-4-86228-084-8 C1036
定価 3,800円+税 372ページ
発売日:2015年 11月25日発売


紹介
青い空、のんきな村人、悠久の生活芸術といったイメージで知られる、南仏プロヴァンス地方。そんな「温和な太陽の楽園」の素顔と陰影──。
長年の現地調査や人びととの交流を通し、現代化と共同体の危機に直面したプロヴァンスの村が抱える問題に迫る、詳細な記録。

原書はフランスで各賞受賞の注目作。
・2012年度 プロヴァンス歴史書大賞
・2013年度 ビゲ賞、アジャクシオ文芸大賞、ボルドー市モンテーニュ賞


目次
(上巻目次)
・序文

プロローグ
・バル・デ・ブール──プロヴァンスのカフェの伝統と日常
・時が止まったままの情景

第一部 村落共同体とかつての庶民
・第1章 農民と籠細工師たちの村──プロヴァンスの労働と伝統
・第2章 我が少年時代の愛しき郷里──かつての若者たちと楽しみ
・第3章 言葉の楽しみ──人づき合いの良さと確執
・第4章 「地元の人たち」──血縁と「相互認識」
・第5章 戦争の記憶──人間についての教訓
・第6章 最後の兵士たち?

第二部 一つの世界の終焉
・第7章 大変化
・第8章 農村に暮らす「六八年世代」
・第9章 「新時代の空気」に直面する共産主義の活動家たち
・第10章 過去を蘇らせることは誰にもできない──遺産、文化、そして大規模工事
・第11章 各種団体のネットワーク──再生の兆し?
・第12章 団体活動による社会参加にはかつての面影はもはやない──ボランティアから専門職へ


著者について
著者 ジャン=ピエール・ルゴフ Jean-Pierre Le Goff
フランス国立科学研究センター(CNRS)研究員としてパリ第一大学付属のジョルジュ・フリードマン研究所に所属。1949年生まれ。専門は政治社会学。
著書Mai 68. L’heritage impossible(La Decouverte, paris, 1998/2002/2006年)〔『六八年五月 不可能な遺産』〕、La Barbarie douce. La Modernisation aveugle des enterprises et de l’ ecole(La Decouverte, Paris, 1999/2003年)〔『穏やかな野蛮 企業と学校の盲目的な現代化』〕、『ポスト全体主義時代の民主主義』(渡名喜庸哲・中村督 訳、青灯社、2011年)ほか。
 

訳者 伊藤 直(いとう・ただし)
松山大学准教授。1977年生まれ。宮城県仙台市出身。2009年パリ第三大学博士課程修了(文学)。専門は20世紀フランス文学。
論文に“Du temps individuel au temps collectif ou historique : autour de la revolte contre la peur” (Albert Camus, le temps, la peur et l'Histoire, Avignon, 2012年)ほか。著書にDictionnaire Albert Camus (共著、Robert Laffont, Paris, 2009年)。


序文より
 第二次世界大戦以来、フランスは数多くの変化と混乱を経験した。とはいえ、国民の想像の中では、今なおこの国は、田舎や村に代表される一つの世界に結び付けられたままだ。一九六五年の大統領選挙戦に臨むフランソワ・ミッテランのポスターには、野原の真ん中にそびえる送電塔のとなりに彼の写真が掲げられていた。その背後には工場の煙突が見え、ぴんと張られた数本の電線の下には、「現代フランスには若い大統領を」というスローガンが読みとれた。それから一六年後、一九八一年の大統領選挙戦のポスターでは、年をとったミッテランの写真がとある村の写真の上に貼り合わされていた。村の中央にはそびえ立つ教会の鐘塔。ポスターの上部には「静かなる力」というスローガン。ポスターの下部には、それよりもさらに小さな文字で「ミッテラン大統領」と記されていた。こうした変化は単に広報戦略に関わるだけでなく、絶えず現代化を続けるフランスの中で、田舎や村についての空想が根強く残っていることをも映し出していた。すなわち、一九八一年のポスターは、一九六八年の五月革命と〈栄光の三〇年〉を経た後でも、この国の現代化を必ずしも客観的事実として認めていない有権者たちの心に訴えかけていたのだ。このポスターは、フランスの田舎のイメージに付随する穏健さや節度といった美徳を前面に打ち出すことで、有権者たちを安心させることとなった。二つのポスターのあいだに見られるこうした対照性は、常にさらなる発展へと、常にさらなる現代化へと向かう進歩の足取りのぐらつきを伝えている。それはすなわち、一九六〇年代にははっきりと描かれているようにも見えた未来への道筋が消えてしまったということだ。
 それからというもの、フランスをグローバリゼーションに適応させるべく、「変化」という言辞が政治的な広報・伝達の領域の中に現れ始めた。しかしながら、昔日のフランスへの郷愁は消えなかったし、逆に強まる傾向にさえあった。とりわけ、それを証言しているのが、地方出版の数々の書籍、文化遺産の日の制定、家系探求のブームだ。どのメディアも──特に夏のヴァカンスが近づくと──牧歌的で懐古的な「フランスの村々」というイメージを提供してくれる。こうしたイメージは、実際にフランスの村に年中住まう人たちが経験している現実とはそぐわないにもかかわらずだ。町や村において見受けられる祝賀行事や記念式典の増加や、さまざまな文化的事業の提唱の高まりは、田舎の生活に今一度活力を与えつつ、観光客を引き寄せることを目的としている。つまり、こんにちの世界とフランスが、混沌とした終わりなき変化という星の下にあるだけに、どうにかして理想的な過去を蘇らせようと努力しているのだ。新し物好きで現代主義的な前方逃避と懐古的な過去への回帰。この二つが相矛盾しながら、歴史の新たな一ページをどうしても記せないでいる現在のフランスの中で、互いに互いを支え合っているのだ。

・「村の終焉」、「フランスの不調」を映し出す鏡
 本書では、プロヴァンス地方のとある村落共同体における往年の日常生活の描写と分析を通して、以上の矛盾を掘り下げて検証したい。第二次世界大戦から二〇〇〇年代に至るまでの半世紀以上のあいだに、この村落共同体が被った動揺を浮き彫りにしながら、本書がとりわけ研究対象とするのは、そこに住まう人びとのメンタリティならびに生活様式である。彼らの言葉を伝えて、彼らのしきたりや風俗を描写して、過去と現在を同時に視野に収めながら私が示そうとしたのは、「実のところ、私たちは新たな世界に足を踏み入れてしまっている」という事実だ。「村落共同体」や「かつての民衆」から、「新たな世界」へ。こうした変動を巡って、『プロヴァンスの村の終焉』の多種多様な各部各章は配置されている。
かくして本書では、大部分のエリート層や管理職たちの精神には存在しない一つの現実が見えてくる。すなわち、一部のフランス人がうんざりしているのは現代という時代に対してではなく、現代主義に対してであるという現実だ。この場合の現代主義とは、絶えざる自己犠牲と努力を前提とする前方逃避として了解されるものであり、それはフランスをいずことも知れぬ場所へと導き、もはやフランス人にとって取り戻しがきかなくなってしまうまでに、この国の形を歪めてしまう。こうした意味において、「村」とは、こんにちのフランスの問題に満ちた一連の動向を要約している社会的=歴史的な現象とみなされるだろう。
(中略)
・「自国内のよそもの」
 本書はカドネの住民たちの意見の総体を反映していると主張するつもりはないし、彼らの名において語るつもりはなおさらない。私の質問を受けた人たちを驚かせたり傷つけたりしないようにと、彼らの名字と名前は──幾人かの著名人を除いて──変えて記している。幾つかの団体についても同様であり、住民たちがその団体を特定することは困難ではないだろうと知りつつも、仮名で記した。また、『プロヴァンスの村の終焉』は、カドネが経験したすべての変化を網羅的に報告しているなどと言う気もない。というのも、本書が扱うのはカドネの現状ではなく、何よりもまずは一九七〇年代と八〇年代の転換期なのだから。ほぼ三〇年前から入手していた村についての取り留めのない情報は別として、現地調査がおこなわれたのは、実質的に二〇〇五年から二〇〇七年にかけてだ。だから、本書に含まれている幾つかの記述は、とりわけ、本書の初めにある有名なバル・デ・ブールの描写は、もはや現実とは合致していない。一時滞在の者たちが、本書冒頭のページに描かれている多くの状況や人物を再び見出そうとしても、徒労に終わるだろう。カドネの村役場の方針や活動も変わり、幾つかの店はなくなり、新たな事業と建築が村の様相を部分的に変えた。中でも、私が出会った人たちの状況はかつてと同じものではない。幾人かは既に退職している、あるいは村を離れている。幾人かは故人である。
 年月をかけて私が織りあげた人間関係の絆は、専門的な人物鑑定に由来するものではなく、私自身の来歴と私の考え方をさらけ出しつつ、その都度相手に感情移入したことの結果である。六八年五月の運動の渦中にあった私の世代は、新旧二つの世界の狭間で特異な位置を占めている。私の世代は旧世界の後継者であると同時に反逆者だった。フランスについてのある種のイメージや観念に強く影響を受けつつも、それらをめちゃくちゃにぶち壊しては、この国を新たな地平へ導くという新時代の希望を一身に担ったのだから。かつての世代と同様に、しかしながらまったく異なるやり方で、この世代は「歴史を作ったのだが、自らが歴史を作っているとは知らなかった」。
 年配の者たちは、自分たちが知る村の姿を大いに私に語ってくれたが、一連の変化に直面しての彼らの反応は往々にして手厳しいものだった。彼らは、広場や路上で私の散歩に同伴してくれて、過去と現在の話を交えながら、少なくとも私にとっては馴染みのない一つの世界を垣間見せてくれた。とはいえ、彼らの証言が終わる頃には、幼少時の記憶や幼稚園と小学校の記憶が、さらには私が生まれ育ったフランス西部の村の忘れかけていたイメージが、いつも私の心の内に蘇っていた。その村はカドネとは異なるし、プロヴァンスの太陽からも程遠いところに位置しているのだが、それでもやはり一九五〇年代には、生粋のカドネ人たちが私に活写してくれた「村」と、そして同時代のフランスの他の村々とも類似した雰囲気を共有していたのだ。あの頃はすべての村が、地方的かつ地域的な独自の特色を持っていて、一つの生活芸術とでも言うべきものを呈していた。例えば、一九七〇年代に私が出会ったパ=ド=カレの炭坑夫たちは、生まれ育った長屋街への強い愛着を示していた。だからこそ、彼らの内の何人かは、鉄鋼業へと「転職」しても、機会を見つけてはことあるごとに坑夫長屋に帰らずにはいられなかった。「鉱業地域」に結び付けられていた人たちにとって、生活の土台であったこうした家族的なしるしの崩壊は、痛ましく感じられるものであった。
 今なお複数の世代の記憶に刻まれているこうした共同体の姿やその家族的な特性は、フランス国全体のイメージともかつては分かちがたく結びついていたように見える。すなわち、労働者、農民、漁師、職人、小売商人、権力者といった、その社会的状況も生活様式も地位もそれぞれ異なるものの、同一の場所に愛着を抱きながら共に生きる人間たちから構成されるフランス国民というイメージ。喧嘩っ早く反抗的だが、「卑小さ」も「偉大さ」も混在している一つの文化を共有し、その影響を受け続けているフランス国民というイメージ。他の多くの共同体と同様、カドネでもこうした「昨日までの世界」は一連の変化によって大きな動揺を被った。現在のフランス人の不満の源ともなっているこの一連の変化こそが、本書において「解体」というお馴染みの術語によって形容される現象を引き起こしたのだ。こうした「解体」現象は阻止できぬものではないが、不況によって拍車がかけられてしまっている。

 年配の者たちが今なお「村」と名指すものを再び見出すべく、三〇年近くにわたってカドネを訪れるたびに、私は常に変わらぬ感動を覚えた。「ようやく辿りついた、風景の美しさと陽光が、幸いにも私が知ることができた人類の一つのモデルと固く結び合わされている場所に」。本書はその証言である。さらには、新たな世界と共に誕生した典型的な人間についての、同時にこの種の人間が社会生活において示している反逆についての、不安に満ちた問いかけが本書には絶えず現れている。そこから教訓を引き出すのは政治家たちの勝手だ。袋小路から抜け出すために、私たちの国は生き生きとした力を、「未だ秘められた人間の可能性」を自在に使うことができる。私たちの国は臨終の言葉をまだ発してはいない。