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Seitosha Publishing

2015年6月のエントリー 一覧

Origins―The Ancient Near Eastern Background of Some Modern Western Institutions


副題:古代オリエント文明:西欧近代生活の背景
起源.jpg著者:ウィリアム・W・ハロー
訳者:岡田明子
ISBN:978-4-86228-081-7 C1022
定価4,800円+税 648ページ
ジャンル[歴史]
発売日:2015年6月30日


紹介
西欧近代をベースとする現代の生活文化。それらの原点は、古代オリエントにある。

メソポタミア史研究の第一人者が、広い分野にわたる詳しい記述と豊富な資料や引用をもとに
近代生活との関連を説明。
 ・楔形文字文書や『聖書』に残された「都市」の起源
 ・都市と工業の発達による富の蓄積と交易のはじまり
 ・レヴァント地方発祥の音節文字にはじまるアルファベットへの発展の過程
 ・大河の恵みによる農耕・牧畜と料理・食事の発達
 ・旅行および遊戯などの娯楽
 ・メソポタミア・エジプトの天文学知識とイスラエルのユダヤ・キリスト教信仰が支える暦
 ・文学の源流をなす神話や叙事詩
 ・古代の王権から、現代的テーマにも通じる宗教、女性観などまで

「旧論文に最新情報を盛り込み、広範囲な読者層を念頭に置いて、分かり易くかつ面白く、と著者が心を砕いたのが本作である。」
(「訳者あとがき」より)

日本語版では多数の図版や地図などを追加。幅広い読者層に向けた古代オリエント史の決定版。

 


目次
序文
第一章:文明の基礎
第二章:文明発展の副次的な面
第三章:文明の向上
第四章:暦
第五章:文学
第六章:王権
第七章:宗教
第八章:女性
第九章:補遺 歴史の「前の半分」
第十章:結論 古代オリエント文明の遺産


著者プロフィール
ウィリアム・W・ハロー  William W. Hallo(著)
1928年、ドイツ・カッセル生まれ。
1940年、ニューヨークへ移住。ハーヴァード大学卒業後、ライデン大学(オランダ)などで研究を続け、シカゴ大学で博士号取得。1962年よりイェール大学教授(アッシリア学)。

岡田明子(おかだ・あきこ)(訳)
1942年、東京生まれ。
早稲田大学文学部史学科・大学院文学研究科(文学)修士取得。慶應義塾大学文学部哲学科・大学院文学研究家(美学)修士取得。
専攻はシュメル学、美術史学。現在、NHK学園「古代オリエント史」「30人の画家で知る 西洋絵画の楽しみ方」各講座講師。
著書『古代メソポタミアの神々―世界最古の「王と神の饗宴」』(共著、集英社、2000)、『シュメル神話の世界』(共著、中公新書、2008)など。



序文
 一九七五年に『歴史年表 The Timetables of History』という表題で、野心的な著作が世に出された。ベルナルド・グルンが著したもので、一九七九年には早くも版を重ねているが〔一九八二年、一九九一年にも重版され、最新二〇〇五年版は改訂第四版という〕、同書の謝辞によれば「(表題は)ヴェルナー・シュタインの『文化年表 Kurturfahrkarte』に基づいた」ということである。同書の内容は、歴史と政治、文学と演劇、宗教哲学と学識、視覚芸術、音楽、科学技術と進化、そして日常生活、といったそれぞれの見出しのもとで、世界中のあらゆる地域における主要な社会的出来事を対比させようという大胆な試みになっている。近い過去になればなるほど、十年毎とかあるいは一年毎にさえ対比が行われ、地球上の全域に亘る人類の行動と挫折について共時的かつ総観的な展望を提供してくれている点で有意義である。ところが、より古い時代になると、やむを得ないこととはいえ、極端にはしょられてしまう。先史時代の二千年と歴史時代の初めの二千年(紀元前五〇〇〇-一〇〇〇年)が見開き四頁だけで終りなのである。そんなわけで「書斎の歴史家はいながらにして……諸起源とその結果を分類する好機を得ている」という本著作の「まえがき」に約束された事項の実現はほとんど望めないのであるが、この「まえがき」とそこに記されている、このえらく楽観的な見通しは、ダニエル・J・ブーアスティンの筆によるものである。


 ダニエル・J・ブーアスティンはハーヴァード大学で学士号を最優秀で取得し、イェール大学から博士号を授与され、一九七五年に米国連邦議会図書館の館員になるまでは二五年に亘ってシカゴ大学で教鞭を執ってきた。一九八三年には『発見者たちThe Discoverers(副題:自己の世界と自分自身を知るために人類がおこなった探求の歴史)』〔邦訳は『大発見』(鈴木主税他訳、集英社、一九八八年)。同社から一九九一年以降文庫五巻本でも出版されている〕を刊行している。私はその著作が世に出るや直ちに買い求め、コッド岬にまで携行していって、興味津々でそれを読んだが、それはあながち私自身もハーヴァード大学やイェール大学やシカゴ大学と聊かの関わりを持っているというせいばかりでなく、ブーアスティンが扱った論題のせいでもあった。この分厚い一巻本は全四部からなり、ブーアスティンは各部を「時」「大地と海洋」「自然」「社会」として、順次論述している。その各部で、周囲の世界に目覚めていく人類の「認識の歴史」を辿り、観察により分かった事柄を、自分が理解し易い体系に整理していった、人類の絶え間ない努力を明らかにした。私にとって一番印象的だったことは、人類が対象とする事物を追及する際の、その痛ましくも遅々として、それでいながら頑固なまでに粘り強いやり方を、著者がじつに詳細に叙述していることである。逆にとても残念に思ったことは、今日私たちが知っているような世界を形成するに至った多くの卓見や発明に対し、古代オリエントがどれほど貢献したかということについては、充分なスペースが与えられていないことであった。(対の巻となる一九九二年出版の『創造者たちThe Creators』でも、古代エジプトの建築及び彫像といった注目すべき例外はあるにしても、ほぼ同じようなことがいえる)。そこですぐ、私も機会を得ることがあったら、自分でその試みを実行してみようと決意したのであった。次章以下で述べるのが、古代オリエント研究(the study of the ancient Near East) に捧げた一介の学者の「生涯の成果」である〔the ancient Near Eastは直訳すれば「古代の近東」であるが、「中近東」「近東」は近現代の地域名と思って新聞などを読む私たち日本人からすると、古代史としては違和感があるので、以下意訳で「古代オリエント」とする〕。本書で扱っている課題の多くは、これまで私自身の研究で詳細にわたり取り組んだものであり、ほとんど世に知られていない様々な学術専門誌や共同執筆論文集などに多年にわたって発表してきたのであるが、ここではその研究報告に最新情報を加え、より広範囲な読者層を念頭に置いて書き直しをしてみた。とはいえ、同時にこの膨大な研究資料がさらなる学究的な調査研究に役立つような試みであって欲しいとも願っている。


 ブーアスティンと同様に、私もまた広範囲に亘る一大展望を扱おうとしているのだが、これはもっと論じ易い分量に小分けして、それぞれに副題を設けなければなるまい。ブーアスティンは「時」から始めたが、それに対して私は暦の諸様相を探求することになろう。またブーアスティンが地理学の面で広大な範囲を扱ったのに対し、私はそれを古代の地理作成術を概観するという、もう少しささやかな分野に置き換えたい 〔「古代の地図」は本書第三章一二三頁以下参照〕。自然研究については、私はほとんど提供できるものを持っていない。それに比べると社会の研究では、私としてはすべての文明の本質やその副次的な側面、さらには王権や女性たちの特別な役割といったようなあらゆる文明にみられる様々な現象について調べてみるつもりである。またこのように比較できること以外に、ブーアスティンが著した記事では完全に抜け落ちている諸分野についても、私は探査してみたいと思っている。その第一は、宗教の全領域、いってみれば宗教儀礼(アゲンダagenda)と祈祷(ディケンダdicenda)〔「アゲンダ」「ディケンダ」は本書第七章二九三頁参照〕を含めた全領域がある。次は創作文芸の面で、古代人がおこなった実践と探求に対して相応しい場を与えるべく努力しよう。もう少し軽い事象としては、例えば今ではごく一般的になっている種々の遊具に関する最古の文献資料を丹念に調べてみたいし、世界の最初の料理本についても何がしか語ってみたいのである。

 それらの各分野で取り上げるものは、古代オリエントで生まれた様々な新発明、あるいはその影響が、今日の私たちの時代にまでいかに受け継がれてきているかということを示すことにもなるだろう。別の言い方をすれば、私は近代西欧世界がいかに古代オリエントのお蔭を蒙っているかということの検証に努めたい。ところがその「お蔭」は、今はほとんどといってもいいほど黙殺されてしまっているのである。私たちはギリシア・ローマの古典世界から文化遺産を受け継いでいると思いがちであり、しかもそれでさえ、古典言語学習の機会が減少しているという尺度からすると、その感謝の念も先細りになっていく危険性がある。そもブーアスティンの『発見者たち』という書名は、ビブロス出身のフィロンによる『フェニキア史』〔ビブロスのフィロン Philo of Byblos(後六四-一四一年頃)。歴史学者〕のなかのある章の題名であったのだが、今そのことを想い起す人など稀有であろう。フィロンはこの著作で、基本的文化遺物の発明を大洪水以前の賢者たちにまで遡って調べている。また、少なくとも英語圏世界では、いわゆる「ユダヤ教・キリスト教の遺産」を話題にしたがる傾向があるのだが、それは「ユダヤ教・キリスト教の所産」つまり通常それは連綿と続く儀礼書や諸文献を通してみた『ヘブライ語聖書(旧約聖書)』と『新約聖書』の遺産を意味している。ところがそうした遺産は、宗教的な領域に限定した定義付けをされがちで、世俗的な諸制度や慣習もまたその根源に遡り得るのに、そのことは等閑にされてしまっているのである。メソポタミアとエジプトの世界についていえば、大方が骨董趣味の分野に放り込まれるか、あるいは「非・西欧文化」とか、せいぜい「前・西欧文化」として十把一絡げで終ってしまっている。この地域で、古代世界に関する数々の驚きの発見がなされたのはここ数十年のことに過ぎないが、それらのものは人類の諸制度・慣習のどの分野においても、凡そ詳説する価値のあるものならどんなものに関しても、その歴史を著作したり、改訂したりするのに、とても重要かつ発展性のある役割を果たすに違いないということが、次第に認識されるようになってきた。──ところが、惜しいことに、その認識は専門研究者間の特定の情報圏内に留まっている場合があまりにも多い。そこで本書で試みたいことは、そうした識見の幾らかをもっと広く世間一般に伝えようではないかということなのである。


この関連でいうと、古代エジプトやメソポタミア以外の地域からの多くの識見は、放っておかれたままになるということは、私も充分よく気付いてはいる。古代メソポタミア及びその影響範囲の外周における地域の多くはそれ自体が特殊な研究分野となるか、あるいは研究の細目分野となっている。メソポタミアに主眼を置くアッシリア学者に、同じ重みを持ってトルコやイランあるいはアラビア半島の古代について語れといっても所詮は無理で、せいぜい西アジア系オリエント史〔The Asian Near East.西欧人にとっては「アジアの近東」でも、私たち日本人からみると「西アジア」ということになる〕に言及するくらいしか望み得ない。アフリカ系オリエント史〔アフリカ大陸でも「西アジア」に近い北東部の地中海沿岸を指す〕についていえば、エジプト学の領域はその出土品の幅広さと奥深さの点でアッシリア学に匹敵する。とはいってもここでは、その出土品については折に触れて軽く言及することしかできない。そういうわけで──アフリカ中心主義の見地からであれ、あるいはその他の理由からであれ──エジプトに西欧の慣習の起源を求めようという読者は、もっと別の場所で探さねばならない。また読者によっては、シュメル人特有の自称が、──シュメル人は自分たちの事を「黒頭」人と呼んでおり、(この間接的な言い回しだと近隣の住民とほとんど区別できないが)、それは普通に考えたら彼らの毛髪の標準色なのだろうが、それを指していたのか、それともあり得ることだが、彼らの肌の色──誰ぞ知るや!──を指していたのか、あれこれ考えてみたいかもしれない。やむを得ず本書では省かざるを得なかったそのような諸問題について、もっと丹念に調べてみたいと望む方々は、例えばサミュエル・ノア・クレーマーの『歴史はシュメルに始まる─人類が記録した歴史における「物のはじまり三九」』(一九八一年)〔History Begins at Sumer: Thirty-nine Firsts in Man's Recorded History, Philadelphia, 1981.(第三版)。邦訳の『歴史はスメールに始まる』(N・クレマー著、佐藤輝夫・上田重雄共訳、新潮社、一九五九年)の原書はFrom the Tablets of Sumer: Twenty-five Firsts in Man's Recorded History, Indian Hills, Colo., 1956.であり、同著者の作品は他にL' Hisroire commence á Sumer, Paris, 1957. や、History Bigins at Sumer, Garden City, N. Y., 1959.など類似の書名が多数ある〕といった学術書とか、あるいはチャールズ・パナティの『日用品の驚くべき諸起源』(一九八七年)といったもう少し砕けた著作類を研究してみるとよいかもしれない。また『聖書』や聖書以後の資料に特別な関心をお寄せの方々は、既出『歴史年表』に似た構成の『ユダヤ史年表』(ユダ・グリベッツ著、一九九三年)に当たってみるのもよいだろう。


 古代オリエントの歴史にも文芸にも、等しく興味を持つアッシリア学者として、私はまず手始めに原文資料(私の分類法だと「碑文」及び「古文書」)と文化遺物をともに含む歴史的(考古学的)記録への興味を惹起することで、論を進めていこうと思う。史書の再構成をする際には、充分用心しながら文学的典拠を使うべきであるという前提の上で(そうかといって必ずしもそれを文字通りに取る必要はないが)、古代の文献資料を慎重に取り扱いつつ、私としては出来るところはどの箇所でも古代の文学文書史料(「真作」つまり原文)に耳を傾けたい。まずは、メソポタミアとその周辺地域の楔形文字史料の証言に頼りたいが、可能であればいつでも聖書や西セム語資料の証言も考慮したいと思っている。実際、私自身学校時代の最初から聖書の学習で薫陶されてきているので、自然に私は聖書の証言とその他のオリエント史料の証言とを、「比較方法」やその変形(私が好んで「前後関係から見る方法 the contextual method」と呼んでいるやりかた)、言い換えれば提示された制度慣習なり定型概念について、幅広く同時代の文脈のなかで調査するというやりかたで、無意識に比較対照する癖があった。それに対して、「間テクスト性/テクスト間相互関連性 intertextuality」〔一九四一年ブルガリア生まれで、フランスで活躍している記号論学者ジュリア・クリステヴァの造語。テクストの意味を他のテクストとの関連によって見つけ出すことで、ある著者が先行文書から借用したり変形したりすることとか、あるいは読者が文書を読み取る際に別の文書を参照することを指したりもする〕という新技術は、まず提示された文書なり慣習なりの先行例を求めて、それを諸々のものの起源や、時を経ての変容理解への手掛かりとするものである。その両者を接近させ、賢明な組み合わせをすることによって、提示されたどのような現象でも、共時的にあるいは通時的に──言ってみれば横軸方向にも縦軸方向にも、広がる関係を利用することができるのである。とはいえアッシリア学者は、当然のことながら文献学者でもあるわけで、初めは語彙上の証拠を徹底的に調べ上げることで資料に接するのである。そこで私も、やむを得ず使うことになる古代の用語を、適宜読者に紹介していこうと思う。専門外の方々にとってはちょっとびっくりしてしまうことかもしれないが、これは重要な埋め合わせをしてくれることになる。それはまず読者に、今は学者世界に閉じ籠められてしまっている古代言語の大辞典に蓄えられている「見解の宝庫」すべてに通じる扉を開いてくれるのである。そういうわけでそういった種類のものは、現代言語の見出し語で構成されてはいるが、一種の百科事典のようなものを提供するはずである。アッシリア学の分野では、後者の型の典型的な作品としては『アッシリア学・オリエント考古学事典 Reallexikon der Assyriologie und vorderasiatischen Arkäologie』(一九二八年以降続刊)がある。また聖書研究では『アンカー聖書事典』Anchor Bible Dictionary(六巻本、一九九二年)〔D・N・フリードマン著。アンカー社出版〕が挙げられる。辞典と百科事典との賢い使い方によって、古代と現代の意味概念を比較することができ、また古代人の概念世界に対する、現代の私たちの分類方法を押し付けたりすることが回避できることもあろう。第二には、古代の用語の歴史を調べることは、制度・慣習とものの考え方との変遷を辿って、やがて古代の概念と現代のそれとが一致をみるという、大変魅力的な筋道を付けてくれることがよくある。つまり時には、まったくのところ古代の歴史が今日の私たちの時代にまで、あるいは私たちの現代言語にまで続いていたりすることがあり、そうすると、古代オリエントが私たちに伝えてくれた遺産の素晴らしさが、益々よく理解できるということにもなるのである。


 もちろん現代の文明の利器や制度慣習のすべてが、こうした古代からの源泉に由来しているというわけではない。そこで、そうでないところでは、古代の類似の現象を比較対照することが有意義になるだろう。事実、そのような似たもの同士の対照は、時には比較すると同時に、それを理解するということにもなり得るのである。言い換えれば、全く完全に生き写しのようなものは、良きに付け悪しきに付け、どちらにしても比較が必要というわけである。これもまた『聖書』研究で私が挑んだ手段であり、古代オリエントの環境という情況のなかで、『聖書』の文脈を理解しようと私が試みたときの手段である「前後関係から見る方法 the “contextual approach”」の真髄といえるものなのである。その試みが本書ではさらに拡大されて、私たちの文明の諸根源、つまり近代西欧の制度・慣習をその背景で支えている古代オリエント文明について、より広大な眺望が展開されるであろう。